rugallo!

毎日をおもしろがる人のメディア -ルガロ-

演劇「ヒーロー」

f:id:rugallo:20160801235226p:plain

  昼下がりの地方都市
  手提げ袋を持った品のいい老婦人が歩いている

老婦人(にこやかに)
「今日もいい天気だこと」

  少し立ち止まり、まぶしげに空を見上げる
  (チュンチュンと鳥の鳴き声)

  ご近所の若夫婦とすれ違い、夫と会釈を交わす

夫(身重の妻を労り、肘を支えながら)
「こんにちは。暖かいですね」

老婦人(柔和な表情で)
「本当に! 赤ちゃんの様子はどう?」


「おかげさまで順調です。これから検診なんですが、こいつが歩いて行きたいって言うもんだから」

妻(ここで会釈を返す)
「妊婦にも運動が必要だってお医者さんに言われたんです」

老婦人
「そうよ。適度な運動が安産の秘訣ですもの」

夫(少し困った風に)
「こんな体でエクササイズにも通ってるんですよ」

老婦人
「あらあら。大丈夫?」

妻(誇らしげに)
「水中でウォーキングしてるんです。体にあまり負担がかからないんで」

老婦人(安堵して)
「このあいだテレビでもやってたわね」

妻(いたずらっぽく笑う)
「あれ、うちのジムなんです。東京のほうのだけど」

  フルフェイスのヘルメットをかぶった不審なスクーターが
  舞台袖から登場
  後ろからスピードに乗せて老婦人の手提げ袋をひったくる
  そのまま下手に退場


老婦人(小さく叫ぶ)
「きゃー」

  よろめいたのち路傍にうつ伏せに倒れ込む

  夫はとっさにスクーターを追いかける仕草を見せるも、
  ショックを受けた妻の様子をうかがい、
  すぐさま老婦人に駆け寄る


夫(片膝をついて)
「大丈夫ですか!」

妻(ようやく声が出る)
「ひ、ひ、ひったくり!」

老婦人(ゆっくりと上体を起こすも茫然自失)
「はあはあはあ」

  荒い呼吸、ときおりゴクリと唾を飲み込む

夫(血相を変えて)
「お怪我は!?」

  肩を抱き抱える

老婦人
「はあはあはあ」

夫(腰をさすってやりなから)
「大丈夫ですか!?」

  老婦人はまだぼんやりとしなかがらも小刻みに頷く
  ショック状態で声は出せない

妻(金切り声)
「ひったくり! 誰か! ひったくり!」

  助けを求めようと周囲を見渡し2、3歩足踏みする

  舞台袖上手側から派手なコスチュームに身を包んだ男が
  飛び出してくる


男(勢いよく)
「とうっ!」

  一同ギョッとして男を見つめる

妻(数秒後ハッとして)
「あ、あなたは!」

夫(弾かれたように立ち上がる)
「深紅に輝く湯沸し器……。額に巻き付くロングサイズの延長コード……。そして湯上がりのように立ち上る湯気……」

若夫婦(声を揃えて)
「お湯マン!」

男(鷹揚に頷き、おもむろに連続ポーズを決める)
「わたしが来た以上は、もう安心だ」

  妻は思わず安堵の涙を浮かべ、
  夫も老婦人に向かってホッとした表情を向ける


老婦人(両手を擦り合わせながら)
「ありがたや、ありがたや」

  男はきびきびとした動きで湯沸し器を地面に据え付け、
  しばしタメを作ったあと、ビシッとうわぶたを押し下げる


一同(口々に)
「お湯だ!」「お湯よ!」「まあ、お湯!」

  ジャバジャバと音を立てて大地を打つお湯
  男は力強くうわぶたを押し続けている


「まさに天の助けだ」


「いつでもカップラーメンやカップスープが楽しめるわ! コーヒー、紅茶もお手のものね!」

老婦人(夫の手を借りて立ち上がる)
「わたしはやっぱり熱い日本茶ね」

  三人の顔に微笑みが帰ってくる
  しきりに涙をぬぐう妻、老婦人の肩を優しく叩いてやる夫
  老婦人は感謝の意をこめて若夫婦に何度も頭を下げる

一同(振り返り)
「お湯マン、ありがと……」

  男は忽然と姿を消している
  あとにはまだ湯気の立っている水溜まりが残される

夫(感に耐えず首を振りながら)
「彼は本物のヒーローだよ」

妻(夫に身を寄せて)
「ありがとう、お湯マン…」

老婦人(上手側に合掌して)
「本当にねえ」

ナレーション(中年男性)
「ありがとう、お湯マン。ありがとう、お湯マン。必要なときも必要でないときも熱湯を欠かさないでいてくれて。ありがとう、僕らのお湯マン!」